悪人が更生して社会で成功する記事
「若いころに悪人だった人が、更生して社会に貢献して、真面目にやっている」記事を批判する人がいます。
そういう人が言うのは、「普段からまじめにやり続けている人間を評価せずに、悪いことしてから普通に戻ったからと言ってほめるべきでない」というような理屈です。
感情としてはわかります。
ある程度人生経験があれば、悪い人に迷惑をかけられた経験、あるいはそういう状況を見た経験も多少はあるでしょうし、そういう人が、真面目にやってきた人以上にスポットライトが当たるのに不快感を持つのでしょう。
気持ちとしてはわかるのですが、ここは、そういう記事を読むときは、もっと社会全体の大きな視点でものを見たほうが良いように、私は思います。
「悪い人が更生して社会に戻って普通に生活する」
こういう記事は、私たち一般市民の社会あり方の成功例でもあるのです。
犯罪を犯せば、刑罰を受けますが、これはその人を更生させ、その後の適切な人物として社会に戻すために定められている一面があります。
しかし、適正な刑と教育で、ある人物が真に更生する意思をもっても、それだけでは当然に更生できません。
その人物は社会に戻ってからは、社会との関係で生きているわけですから、社会がその人の更生を信じて、そして更生の後押ししなければ、その人物が社会で真に立ち直ることはあり得ません。
つまり、ある犯罪を犯した人が、その後に更生して立ち直れるのは、今の社会がそういう犯罪者を更生させるだけの力、そして受け入れるだけの力を持っていることを示すものでもあるのです。
それは、結局は、社会で、まじめにやっている一人一人の成果でもあるのです。
だから、悪い人が更生をして成功できるのは、結局は一人一人の真面目な社会人の手柄でもあると私は思います。
そういう視点から見れば、「若いころに悪人だった人が、更生して社会に貢献して、立派な人物になっている」記事は、まじめな一人一人の人間の手柄を評価するものでもあるのです。