サラリーマンの時の話
昔、サラリーマンであったときに、どういう仕事をしてたのか、しばしば聞かれます。
学生時代など、アルバイトもいろいろしてきましたので、それについて聞かれることもあります。
私が弁護士になったのは30代になってからですので、それまでどういう仕事をしていたかを記載してみようと思います。
私が、どういう弁護士か、わかっていただくための参考の一つにしてくだされば、幸いです。
アルバイトや契約社員時代
学生時代は居酒屋でアルバイトをしていました。
京都に下宿していたのですが、仕送りは無く、生活費を自分で稼ぐ必要があったからです。
奨学金は月に5万貰っていましたが、一人暮らしとはいえ、それでは生活に足りませんので、毎月15万円くらいは稼ぐ必要がありました。
大学の授業は緩やかといえども、一応学校に行きながらですから、仕事ができるのは、土日か夕方から夜間、早朝です。
そこで最初は新聞奨学生で新聞配達に行きましたが、これはあまりなじめず、すぐに辞めてしまいました。
そのあと、居酒屋でアルバイトをすることになりました。この居酒屋のアルバイトは学生の間は、ずっと働かせていただいておりました。
大学卒業後、数年たって、アルバイト先は倒産したと聞きましたが、この時知り合った友人とは、今も、時折遊びに行ったり、何かあれば電話で相談したりと繋がっております。(京都なんで、なかなか会えませんが)
この居酒屋のアルバイト、時給700円でしたので、相当に働いても、生活はぎりぎりでした。
ですので、生活費を増やすために、大学の長期休暇中は、引越や交通量調査、走行調査、本屋、土地家屋調査の補助、IT関係、ビルの解体、トラックターミナルの倉庫内作業などいろんなアルバイトに行きました。
20種類程度はやったかと思いますが、一日で7件引越したときが体力的には一番きつかったです。ビルの解体では4日目には、アルバイトで一番のベテランになり、アルバイトリーダーになったことも印象深いです(他の人は3日で辞めていきました)。
大学は卒業後、クレジットカード関係の会社に行ったり、ベンチャー企業の立ち上げに関わったりしてました。
カード会社では加盟希望店の与信調査・信用調査を担当していましたが、表向の報告書と実際の経営状況の食い違いを調べ、虚偽を確認していく手法は、現在の弁護士業務において、一定の役に立っていると思います。
またベンチャー会社が、目の前で設立されて拡大し、最終的に買収、解散される動きをみることができたことも、一つ大きな経験になったと思います。
リーブ21
その後、リーブ21(大阪)に就職しました。
リーブ21は会社の創成期、社内に法務の担当者はおらず、私が初めての法務の担当者でした。
当然、仕事を教えてくれる先輩も、以前からの資料も、何もありません。
社長に、仕事を聞きに行ったときに、「あなたが、初代法務部なんだから、自分で考えて」と言われて困ったことを覚えております。
周りに聞いても「わからない」と言われますし、そもそも社風が、自分で自由に考えて自分で行動するという社風でした。
そこでいろいろな業務をしました。
(1)特許や商標申請
何をすればいいかわからないものですから、本来の法務業務に加え、普通、弁理士に依頼するであろう特許申請や商標登録、司法書士に依頼するであろう登記関係など、あちこちに電話しながら自分でやっておりました。
結局、日常の商標登録、商業登記は全て私が自分でやっていましたし、特許は特に重要なものとか理科学系の専門性が高いものは弁理士に頼みながらも、自身でも出願しました。
(2)中間法人設立
行政機関の指導で中間法人を設立したりしました。
行政機関との折衝の中で、「業界内で管理団体を作るか、法規制に入れるか」という話になり、それなら管理団体設立をということになり、設立したかと思います。
今は中間法人の概念はなくなり、一般社団法人になるのですが、当時は中間法人法があり、営利性のない組織を作る際の一手段として、少しだけ流行っていたのです。
法人の設立経験も現在の業務に役立っていますが、それと同時に役立っていると思うのが、行政機関との交渉や各種法規制の現実の動きをみれたことですね。
(3)契約書のチェック・作成
契約書の見直しやチェックもやっておりましたが、今考えると、この当時の私の業務姿勢は、今考えると法務部員としてはダメでした。
当時は、とりあえず厳しく自社の不利益を少しの点でも掘り起こして拒否して、主張してました。
しかし、結局、会社というものは、
契約でよそから得たモノやサービスを利用して、契約でモノやサービスをお客さんに売って利益を上げる
つまり契約を成立させることが会社を動かす大前提です。
ですので、あくまで「契約を成立させる」という大前提をもって、その中で契約条項を確認し調整すべきで、契約書内の自社の不利益のみ一方的にあげて文句をいうのでは意味がありません。
ただ、今の弁護士としての仕事では、この時に、極些細な点でもチェックしていた経験が役立っております。
とはいっても、今は極些細な点のチェックだけでなく、それが全体に及ぼす影響や、契約交渉においては譲歩すべき程度の不利益か放置できないものか、契約のメリットとどちらが大きいかなどは検討し、アドバイスできるようになりました。
(4)内部監査
それと、全国に内部監査に言っておりました。
社長は、全都道府県に1件は店舗を置くという方針でしたので、この時に「ほぼ」日本全国を廻ったと思います。
監査も初めてですから、監査項目も自分で作りながら、失敗しては修正をし、各店舗に訪問し、帳簿や業務をチェックしていくことは、大きな経験になりました。
(5)登記
商業登記は、全て自身でやっておりました。
当時は法務局が電子化されておらず、大阪の谷町4丁目の法務局に登記に行ったら、200人待ちなどで大変だったことを思い出します。
(6)まとめ
リーブ21での経験は、
「仕事は自分で考えて自分ですること」
「それが会社に何らかのメリットをもたらさなければならないこと」
「自分の仕事が完璧であればよいのでなく他との関係を見据えてよりよいものを作るのが仕事であること」
という基本的な視点ができたのと、わからない中でいろんな企業法務業務を勉強しながら行った法律業務の経験は、今での役立っています。
株式会社ダスキン
リーブ21のあと、(株)ダスキン(大阪)に転職しました。
ダスキンでは、契約書の作成やチェック、それに伴う折衝などを主として行っていました。
リ-ブ21の時は、法律の基本的事項は調べるものの、実際の業務は我流で進めていましたが、ダスキンでは一般的な企業法務の法律業務を学ぶことができました。
個別に業務をみますと
(1)契約書作成、チェック
このときに、単に自社の都合のよいことを並べた契約は締結できずに意味がないことや、極端に有利な条件を述べてから譲歩する類の交渉術は、相手によっては幼稚に見られることもあるので注意するといった企業取引のマナーを学ばせていただきました。
また、極端な契約書は、裁判になればどうせ無効になる可能性もあるし、それどころか会社の品性が疑われるので避けると言ったことも学びました。
スペインの某サッカーチームやアメリカの某映画会社との契約の時には、全く訂正できない契約であっても法務部がチェックする意義を知りました。
そういう契約のチェックは、担当部署や下請け先に、違反しそうな点の注意を与えるためにします。
(2)他の業務
他に対応した業務で覚えているのは、携帯電話の子会社の売却と合併業務、新規事業の立ち上げの適法性調査と報告などです。
株主総会なども対応しておりました。
ダスキンの法務部は、リーブ21に比べるとずっと大きく、業務も分担されており、出来ることは限られていましたが、その分深く学ぶことができました。
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余談ですが・・・・
ところで、皆さん、ダスキンというと掃除関連の会社と考えている方も多いですが、そうではありません。
会社は、フランチャイズ事業可能な業務を開発して、フランチャイズ化していくのが主たる業務です。
その中で成功しているのが、掃除用品のレンタルやミスタードーナッツですので、そのイメージが強いのだと思います。
本社社員は、ミスタードーナッツの商品は本社の最上階で無料で食べれます。
毎日、食べに行っていたら、上司に「もう少し節操をもって」と注意をされたことを思い出します。
リーブ21からダスキンへの転職は、ヘッドハンティング会社を使ってのものでしたが、上司から「結構な額を払って、紹介してもらった」と言われたことがあります。
会社の戦力になる前に、会社で勉強だけさせてもらって、その後、お金が貯まったので退職して関西学院の法科大学院に行きましたので、ダスキンには、ちょっと申し訳ない気持ちもあります。
大学院時代のアルバイト
その後、関西学院の法科大学院に行きました。
多少の貯金はありましたが、当時、結婚しており、1歳の娘もいましたので、先を考えるとお金がありませんでした。
もっとも、ロースクールでは毎日14~15時間勉強しますので、アルバイトに行く時間が限られます。
切り詰めて生活しながら、毎年、夏や冬、春などに1週間程度だけアルバイトをして、少しでも家計の足しにしておりました。
この頃は、大学模試の採点などをやっていました。
司法試験合格後、司法修習が始まるまでは、司法試験の模試の採点などもやっていました。
家族3人で、築40年のマンションに住んで、この時が経済的には一番厳しかったですね。